会報誌「まいにち多言語」はヒッポファミリークラブ会員向けに編集・発行しています。活動やイベントについてのお問い合わせは一般財団法人 言語交流研究所・ヒッポファミリークラブへお願いいたします。

■私がヒッポファミリークラブに参加したのは5歳の時でした。青少年のホームステイのプログラムがあり、私は小5で韓国ソウルに2週間、中2でアメリカのカンザス州に1か月、一人で出かけました。高校2年の夏から1年間交換留学生として、アメリカのワシントン州の家庭にステイさせてもらいました。家族はホストのTrevorと両親、祖父母の5人。一番の思い出はクリスマスです。大きなもみの生木がリビングに置かれ、家族の歴史を感じさせるオーナメントで飾られていました。“2003 Naoto”と書かれた雪だるまのオーナメントが新しく作られ、とても幸せでした。
帰国後は国際交流協会での日本語教師ボランティアにも参加しました。担当したのは技能実習生・中国人女性の申さん。彼女が滞在していた3年間、毎週日曜日に教室へ。自然と興味は中国語にも向けられていきました。大学で学びたいことは3つ。英語を維持し伸ばす、中国語を学ぶ、そして日本語教師について学ぶことでした。
大学入学と同時に始まった中国語学習、なんと、1年目の授業のほとんどは知っていることだったのです。それは多言語マテリアルの中に中国語があり、昔から無意識に聞いていたからでした。中国北京への交換留学にも挑戦。クラスメイトは半数は韓国人、その他はタイ、ベトナム、アメリカ、イタリアと多国籍。韓国語の方がよく聞こえてくる面白い空間でした。長期休暇に山東省日照まで片道10時間かけて夜行列車で向かい、申さんと再会。その後もずっと交友が続いています。
日本と世界を繋ぐ懸け橋になれる仕事として、物流業界の企業に就職。中国語が話せるというだけで、入社2年目にして上海へ赴任の機会を手にするのでした。中国人しかいない倉庫に日本人1人。一緒に仕事しながら、彼らが使っていることばをそのまま覚えて中国語の物流用語も身につきました。
中国駐在4年目、「お前をミャンマーに推薦しようと思う」と赴任が決まりました。しかし不思議と不安はありませんでした。目の前の人とどのように関わるのかという点ではどこの国に赴任しようと関係ないのです。コロナ禍と子どもの出産を機に日本へ帰国。今はサウジアラビアから樹脂原料を世界中に輸出する船の手配をしています。
今では妻と3人の子どもたちとヒッポの活動に参加し、いろいろな国の人のホームステイの受け入れも行ってきました。1年間受け入れしたイタリアの女子高生ステラが、帰国して尚、私たち家族を自分の家族であると呼んでくれることはとても幸せなことです。

アメリカ留学のホストファミリー宅に家族5人で里帰り。実に14年ぶりの涙の再会でした。クリスマスツリーには私たち5人の名前入りオーナメントを準備してくれ、家族の歴史に私たちも加えてくれました。私が高校時代を過ごした家で子どもたちが駆け回って遊び、グランマにワッフルを焼いてもらい、生後10か月の息子はグランパの大きなお腹の上でお昼寝をする。とても感慨深い滞在となりました。
父親としていま私が何を思うか?1つ目は世界にはいろいろな国・地域があり、自分もその世界の一員であることを知ってほしい。2つ目はやりたいことが見つかった時に、その新しい環境に飛び込む小さな勇気を持ってほしい。3つ目は大好きな家族・友だちを見つけてほしい。心豊かな幸せな人生を送ってくれることを願っています。
(M. N.さん/兵庫県・名谷ポレポレF)


